のらり、そしてくらり。

国際結婚により思いもよらず人生がドイツに不時着した日本人妻の奮闘記。

ドイツ入り〜エモーション編〜

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当日のガラガラの空港がこちら。

 

国際結婚も珍しい時代ではなくなった昨今。テクノロジーの発達により遠距離恋愛のハードルも下がりました。国境を越えて育む愛、浪漫。

 

一般的に恋愛の先には結婚があり、私たちも国際遠距離恋愛から国際結婚へと駒を進めることを決意しました。

 

国際結婚に限らず、結婚する際は様々な感情の揺れがあり、相応の覚悟が伴うものだと思います。生まれ育った家庭、両親の元を離れ、赤の他人として生きてきた相手とパートナーシップを結んで新しい人生を歩み始めるのですから。

 

社会人になってから現在に至るまで、散々海外を転々としてきました。時には数ヶ月、時には数年、日本を離れて異国に滞在しながらボランティア活動、資格取得、放浪…自由にやってきました。その度に日本の家族と涙で別れてきました。数ヶ月から数年で帰ってくることがわかっていても泣く、どんだけエモーショナルな家族なんだと言われればそうなんですが、私の家族はそういう家族です。本当は近くにいてほしい、そう願う親の気持ちを知っている以上、毎回親を悲しませていることに心を痛めてきました。

 

私がドイツ人と結婚すると告げた時、反対はされませんでしたが、夫婦で日本に住む道を…と母が望んでいること、彼女は今もその希望を捨てておらずいつか戻ってきてほしいと願っていることを私は知っています。

 

親不孝という言葉があります。私の認識では、親を悲しませる娘は親不孝です。でもこれは私の人生であり、親の望み通りに生きることが正解だとは思えません。親と自分、どちらの望みを優先するのか、自分を優先することは自己中なのか、私は親不孝なのか・・・20代の頃から常にこの葛藤に悩まされてきました。

 

コロナのせいで私の渡独は遅れました。数ヶ月間実家に滞在する期間が延び、母と祖母と過ごしました。結果的にこの期間に感情の整理ができたように思います。皮肉にもコロナのおかげです。

 

出発当日の朝、実家を出る時にまず祖母、妹、姪っ子と涙で別れました。泣きながらハグをして。妹が手紙を手渡してくれました。私も母宛、妹宛、祖母宛に3通の手紙を用意してありました。恒例の手紙交換。我が家の口で伝えきれない想いを手紙に認める文化、実はとても気に入っています。妹とは二人姉妹で、3歳の姪っ子も含めて仲良く過ごしてきました。彼女は涙を流しながら、私の背中を押してくれました。82歳の祖母は、頑張って、という短い言葉をくれました。その言葉の裏に(私はもうあなたに会えないかもしれない…)という思いを持っているのが伝わります。コロナのせいで一度渡独したらいつ戻ってこられるかわからない状況、そして自分はいつ何があってもおかしくない年齢であることを自覚しているからです。3歳の姪っ子は大人みんなが泣いている状況がどういうことなのかわからないらしく、困惑して半泣きの顔で佇んでいました。

 

母に空港まで送ってもらいました。道中ざっと2時間、感傷に浸ることもなくいつも通りに他愛もない話をしながらのドライブ。そして空港に近づと「いよいよだね…」と母が言いました。

 

空港はガラガラでしたが、連日海外からの帰国者のコロナウイルス感染が報道されています。出発ターミナルと到着ターミナルの階は違うとはいえ、やたらにうろうろするべきではないのは言うまでもありません。そのため、車を降りたその場でお別れをすることにしました。

 

お互いマスクをしていたので出ていたのは目だけ。その目が潤んでいくのが見て取れ、私も涙をこらえられませんでした。ハグをすると母は「幸せになりなね」と言いました。

 

私がそうしてきたのと同じように、母も時間をかけて心の整理をしてきたのを知っています。遠くに嫁ぐ娘に対する思い、自分自身の希望、娘の幸せ。母は車に乗り、手を振る私の前を通り過ぎながら、窓からもう一度「幸せになってね」と言って去っていきました。

 

「幸せになって」

 

母からのその一言が焼き印のように心に焼き付いています。そのシンプルな一言に集約された母の想いと共に。人生で初めて受け取った母からの「幸せになって」の言葉。この日のこの言葉の衝撃は一生忘れません。

 

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12時間のフライトが終盤に差し掛かり、高度を徐々に下げていく飛行機の窓からドイツの陸地が見えてきました。

 

緑の占める面積がほとんどで、国土のどれくらいが森なんだろう、そんなことを思っていると、だんだん民家が見えて来ました。上空から見る建物は踏み潰せそうなくらいちっぽけで、その建物よりさらに小さい人間がどれだけ取るに足らない存在であるかを実感しつつ、そのちっぽけな存在の一人一人に人生があり、家族がいて、みんな必死に生きているということに思いを巡らせました。私が上空から見たのはドイツのたった一部です、でもそれは紛れもなく世界中に共通の景色でした。

 

日本人である私がドイツに来ることになったのは、たまたま出会ったドイツ人と結ばれ人生を共にするためです。広い世界の中で、別の大陸で生まれ育ったたったひとりの誰かと出会って結ばれる可能性はいかほどか。自分の直面している状況にものすごく不思議な感覚を覚えました。同じ国の同じ町にいても出会わない人間がいくらでもいる中で夫と出会えたこと、出会いは本当に奇跡だと思います。